アドバイスを手放す

求めてもいないのに、勝手に受けるアドバイスほど鬱陶しいものはない。時にそれは老害や自己中と呼ばれたり、おせっかいな奴という認識につながっていく。

あらゆる情報が簡単に得られ、誰でも発信できる時代になり、そのような他者への勝手なアドバイスがますます増えていると感じる。人には誰でも、自分が得た情報を誰かに伝えたい欲求がある。それは本来、危険や食糧の在処を知らせるという、人類的な生存本能からくるものだろう。

現在は情報過多になり、精度の低い情報についての指摘やアドバイスも増えた。情報を持ってしまうと、それについて何かひとこと言いたくなる現象は千葉雅也が『勉強の哲学』で記したように、人は勉強することによって「キモく」なることにも繋がる。誰もが自分が勉強したこと、体験して深く知識を体得した(ような気になってる)事柄に関しては、確固たる自信をもって、相手の情報を上塗りしたり、論破しようとしたりする。そういう細やかなアドバイスが、時には人間関係の亀裂につながることもある。

僕は基本的に求められた時しか、アドバイスはしないようにしている。ある時からアドバイスすることを手放すことにした。他人がやっていることとか、他人の持ち物に関して、口出したり意見したりしない。無節操なアドバイスをしないようになって、人間関係がうまく回るようになったし、ストレスも大きく減った。そしてなにより時間ができた。人生は誰にでも有限で、他人にアドバイスをしているほど時間はないのである。

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