ホームページは死語なのか

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ホームページは死語なのか

気づけば2月も下旬になっていて、年が明けて早くも二ヶ月が経とうとしている。いつも年始から春にかけてはバタバタしている気がするが、今年は世界が回復に向かっているせいか例年以上に忙しい。今日は近況報告というか振り返りをしてみたい。俗に言うリトリーブ作業。

秩父の山を登る

昨年末からずっと写真集の作業をして、年始の挨拶を一通り終えてから、友人と秩父の山を登った。日和田山という山がメインで、周辺の低山を縦走するようなかたちで、秩父山系の入り口付近を歩いた。2023年になってから、生活の中であまり写真を撮らなくなった。代わりに動画を撮っている。写真と動画を同時に撮ることはできない。動画から写真を切り出すことはできるからとりあえず動画を撮っておけばよい、などと言われるが厳密にというか、結構両者は違う。撮影時に全く異なるアプローチを要するので、結局どちらかになる。

写真を撮らなくなったもう一つの理由として、写真日記が終了したことが挙げられる。昨年は日記のために毎日写真を撮っていた。撮る必要があった。今ここで日記のようなものを再び書いているわけだが、毎日撮るというプレッシャーから開放されたせいか、撮らないことに心地よささえ覚えるようになった。重いカメラを持ち歩くことからの開放もあるのかもしれない。おそらく写真を撮り続けた反動として今、映像がある。写真と映像が別物であるために、写真は撮らなくても動画を撮るということに気分が向いている。

ストレートネック

1月末に写真日記を出版してから、しばらくして首が回らなくなった。最初は寝違えたと思っていたけれど、3日経っても治らず、どうやらストレートネックらしいということになった。らしいというのは、医者から判断されたわけではなく、周囲の人から聞いてそのように判断した。自分で調べてみても、それに近い症状だったので、ストレッチに励んで、今は少し回復に向かっている。年末から1月にかけて作業しすぎたのと、作業の姿勢が悪いのが原因だと考え、PCスタンドとキーボードとマウスを買った。これで随分作業し易くなって、効率は上がって、もっと早く導入すればよかったと思った。

以前は家ではiMacを使っていて、キーボードとマウスのある環境だった。それがミニマリズムを追求する流れで、13インチのマックブックひとつになった。これはこれでよかったし、今でも移動中や旅行中は大変役立っている。他でも書いているが、今は外付けのSSD等も使用しない環境となった。持ち物が最小限であることは、あらゆる負荷を軽くするが、身体の負荷はまた別の問題だと思う。

ChatGPT

一日の中に、これまでにない余白があるなと思って、昨年との違いは何だろうと考えていた。それは写真に加えて、日記を書くことだった。年末までは日記を続けるのか自分でもわからなかったが、いざ年が明けて、出版して本という形になってみると、これもまた緊張の糸がぷつっと切れたように、書くことがピタッと停止した。日記を毎日書くということは、思ったよりも大変な時間と労力を要していたのだ。もちろん、終盤は毎日書き続けたことによる慣れも相まって、ほぼ無意識に近い状態で日記を生成できるようになっていた。一年書き続けることで、日記を書くことが身体化された。

生成と言えば、最近話題になっているChatGPT。実際に触ってみて、自分が一年間書いてきたものは、世界にとってはとても小さく、さほどというかほとんど意味のないことなのではないかと少し落ち込んだ。だが、AIが生成するものと人間の生成するものの差異にこそ何か重要な解がある気がするし、今後は個人の小さな物語やストーリーテリングの重要性がますます高まるのではないかとも考えた。これまでもディープラーニングによるChatbotのようなものは既にあって、そんなに新しい技術ではない。しかし今回は、研究者の予想していたキャズムのようなものを超えたことによる驚きが、世界的なバズを生み出すことになった。インターネット上の学習情報量と生成パターンを大幅に増やしたことで、人間の脳のニューロンに近い状態が生まれ始めているようだ。

ChatGPTの画期的性能

ChatGPTは、自然言語処理の分野で画期的な技術の一つで、最新の深層学習技術を利用して大量のデータを学習し、人間のように自然な対話をすることができる言語モデルです。


従来の自然言語処理技術では、人間が事前に設定した規則に基づいてテキストを処理していました。しかし、ChatGPTは大量の文章を学習することで、自然な文章の生成や応答が可能となりました。


ChatGPTは、多様なタスクに利用されており、例えば、自動翻訳、文書要約、対話システム、文章生成などに利用されています。これらのアプリケーションにおいて、ChatGPTは高い性能を発揮しており、人工知能技術の進歩を示していると言えます。

ChatGPTによる生成

既に様々な使用方法が出てきており、例えば英語教師が授業で使用する例文やテスト問題を作ったり、You Tubeのタイトル案を作ったり、短編小説を書かせたり、ブログ原稿を書かせたり。

そういえばnoteも書き出しをAIによって生成する機能を実装していて、早速使って書いてみたのがこちらの記事。まだベータ版だけど、このような4000文字近い文章を15分くらいで書けるとなると、近い将来、世の中のブログやネット記事はほぼAIが書いたものになると思うのは安易すぎるか。AIが学習したものをフィードバックして人間が使い、それらのテキストをまたネット上にばらまくと、またその記事をAIが学習してという、無限ループが生まれていくはず。その時、学習の連続作用によりAIと人の書く文章の差が広がっていくのか、それとも、人らしささえも学習してしまい、両者の見分けがつかなくなるのか。

文章だけでなく、音声や画像も深層学習AIに置き換えられると、ますます見分けがつかなくなる。そういえば、DJのデイヴィッドゲッタが、エミネムの声で自分の歌詞を歌うということもあった。著作権やセキュリティの問題は、今後ますます大きな課題となっていくだろう。

千葉 2023

恵比寿映像祭2023

先週は東京都写真美術館で開催中の恵比寿映像祭2023を見てきた。soda企画の50秒というショート作品が良かった。リュミエール兄弟による世界最初の映画は「工場の出口」という50秒の作品で、当時撮れる最長時間が50秒だったことを着想として、現代の映像を50秒という制限の中で表現するもの。工場の出口が作られた1895年と現代を、尺により接続させる試み。34組のアーティストの50秒作品がひたすらテンポ良く流れて心地よい時間だった。個人的には金村修さんが圧倒的だった。

サイトの更新

そのようにして1月から新年会をいくつもこなして、友人の誕生会を2つこなして、ストレートネックで身体をバキバキにさせながら、たまに走って、ついにというかようやくネットフリックスのイカゲームを最後まで見て、昨日久々にサイトの更新をした。

今回はちょっと大胆に変えてみた。

前からアイデアとしてはあったのだが、日記として運営していたブログをこちらのtokimarutanaka.comにまとめてみることにした。統合というよりは引っ越しです。

なんとなくこれまではブログの方は文章をメインに、個人ドメインのほうは作品と活動履歴をメインに、みたいな使い分けがあったのだけど、似たようなオフィシャルっぽいものを二つ管理する手間を考えるとどうも一つにしたほうがいい。様々な制約があってこれまでは統合ができなかったけれど、今ようやくそのタイミングが来たようです。

自分でもこれから何を書いていくか、作っていくかわからないですし、突然がらりとリニューアルするみたいなことも今後もあるかもしれません。というか、これまで何度もそのようにして続けてきました。

SNS全盛の時代に「ホームページ」(死語)を作ることは、タウンページを作っているみたいで逆に新鮮味があるというか。他SNSのように瞬発力で更新と発信をしていくようなものではなくて、自分の好きな時に、気が向いた時にある意味適当に、ゆるくやっていく場所が必要な気もしていて、このサイトがそのような場所に再び戻るような気がしています。

「写真はそこにひとつもない」というブログを立ち上げたのが2015年、それから2016年にtokimarublogに移行したので最初から読んでくれている方とはもう7年ほどの付き合いになります。あっという間です。恐ろしく早いです。今まで読んでくださりありがとうございます。

tokimarutanaka.comは自分が所有しているドメインの中で最も古く、2011年からスタートしています。今年は様々な変化と整理の年になるような気もしていて、複数運営していたサイトやサービスを、減らしたり統合したり売却したりする予定でいます。そして新たなことを始めます。今回の更新はその始まりです。

YouTubeやInstagramでも引き続き発信していきます。フェイスブックは辞めました。作品や晩酌のコラボレーションも増やしていきますので連絡頂けると嬉しいです。

ブログ的なものはここでぽつぽつと書いていきますので、またお立ち寄り頂けると幸いです。