ミニマリズム
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デジタルカレンダーの使いこなし (カレンダーを手放す)
先日、「カレンダーを手放す」という動画を作成した。このJournalでは動画内で話せなかったことを書きたい。
ざっと動画の内容をまとめると
- カレンダーを手放す実験と現代人の時間感覚
- 1年前の「予定で埋まった」カレンダー
- 現在の「空白」のカレンダー
- 紙の手帳からデジタルへ移行した理由
- リモートワーク普及によるカレンダーの複雑化
- 1つのカレンダーに統合する重要性
- 睡眠やルーティンも全て書き込む管理術
- 細かすぎる予定管理の弊害とストレス
- 究極の自由「ホワイトスペース」を作る
- 現在の運用ルールとタスクの可視化
- エコシステムを活用した自動連携機能
どうしてもプロジェクトや中長期で関わる会社が多くなると、カレンダーの数が増え、視認性は下がり、常に予定に追われているような気になる。それをなんとか解消するために、いかに予定の入れ方や色分けを工夫するか、そのようなことに以前は時間を費やしていた。
それで少しは楽に予定を把握できるようになったとしても、結局カレンダーの数や、イベントの数が多いことは長年変わらなかった。また、会社勤めをしている人であれば「社用PCやスマホ」といったものが、モノを重複させ、ますますスケジュール管理を複雑にする。
モノを持ちたくないミニマリストとしては、会社からのPCやスマホの支給は不要だと思っていたし、自分のPCやスマホを捨てて会社のものだけを使おうかと考えたこともあった。実際そういう強者はいる。(多くの会社では、貸与物の私的利用は禁じられているはずだ。セキュリティ観点でも良くない)
それができないなら、デバイスやアカウントを増やさないために、会社に属さない選択をとる。会社を辞める理由が「PCやスマホやアカウントが増えるから」というのは馬鹿げているように思えるかもしれないが、道具の選定にシビアで、とことんモノを減らしたいエクストリームミニマリストにとっては死活問題なのだ。
仕事を減らしてようやく、自分の1アカウント、1カレンダーだけにできるようになったのはつい最近のこと。
現在も数件のプロジェクトに関わらせてもらっているが、そこでは専用ラップトップを使うことも、専用アカウントを作ることも強制されていない。
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スケーリングとミニマリズムのジレンマ
ミニマリスト思考の人が、何か事業を始めようとする時、いつも問題になるのはスケーリング(事業拡大)とミニマリズムのジレンマである。
事業の拡大と合わせて、禅やミニマリズムの思想をビジネス戦略に落とし込み、プロダクトに反映させたスティーブ・ジョブズのように誰もがなれるわけではない。故に、ミニマリズムの発信を軸にビジネスを展開しようとする人は、お片付けサービスやコンサルといった小さな事業に収まりがちである。そしてそのような事業は労働集約型であるために、結局は時間の切り売りになり、いつまでたっても収入は横ばいで、一向にスケールすることはない。
ミニマリズムを用いて会社を辞めたのに、結局会社勤めと同じくらい労働をしていて、これでは普通に会社員をやっていたほうがよかったのではないかと、悩むことになるのである。
気持ちは十分にわかる。そもそも、モノを持っていない。コストもかけたくない。一人が好き。人と関わるのがさほど好きではない、根暗かもしれない。ミニマリズムはそのようなものと実際に親和性が高い。
だが事業をスケールさせるには、結局は、人材、資本力、知識/労働集約型のバイブリッド、協力会社の結託や資金調達が必要になる。一人でできる範囲のビジネスで、事業を拡大していくことには限界がある。誰もがその壁に当たる。
だが、本当にスケーリング(事業拡大)とミニマリズム(持たないこと)は相反するものだろうか?ミニマリズムを用いながら、事業をスケールすることはできないのだろうか?スティーブはガレージでAppleを創業して、現在では時価総額100兆円近い規模の会社にした。これはスケーリングの極みである。Appleにはなれないとしても毎月100万円くらいの収入であれば一人でも作ることができる。それにはガレージも、発明も、ウォズニアックのような天才も必要ない。
月商100万円は年商1200万円である。このような規模はもはや事業とは呼べず、スモールビジネスのレベルである。だが同じモデルをそのまま10倍にスケールさせれば、理論的には1.2億円に到達できる。年商1.2億円という数字は、日本の中小企業の上位20%にあたり、数的には71万社ある(総務省・経済センサス,2021)
これを会社という組織ではなく、一人でつくる。そして利益率95%以上だとしたら、純利益もほぼ年商に近い数字となる。そのような過程の中で、常に立ちはだかるのが、スケーリングとミニマリズムのジレンマなのである。
もっと具体性のあるレベルで考えてみよう。
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憂鬱な月曜をリブートするための5つのヒント
会社員時代は月曜日が憂鬱なものでした。特に土日が楽しいと、そのギャップがきつく、自分の人生がこのまま終わるような、何もしたくないような気持ちになったものです。東京の満員電車での通勤は、その憂鬱さを助長させました。早々に地元へUターンした友人を羨ましく思いました。月曜が憂鬱すぎて、月曜日を毎週有給を使って休んだりしていました。しかしそうなると火曜日が憂鬱になります。仕事もさらに溜まっていて、これでは逆効果だと思いました。さらに上司に呼び出され、月曜の有休について問い詰められたり。
そういうことが全て面倒に思えて、僕は会社をやめました。
現在はソロプレナーとして一人で事業をしています。端的に言って、最高です。
曜日が関係のない働き方をしていますが、月曜日は社会全体が動き出すので、自分の仕事も外的対応という意味でアクティブになります。しかし憂鬱な気持ちは全くありません。むしろ、多くの人が出勤して、日中は街中が空くので、ホワイトボックス以外の作業場であるカフェが空いていたりして、ハッピーな気持ちが高まります。さらに堕落的な週末を過ごしてしまった後に来る月曜は、ようやく自分のディープワークやクリエイティブに没頭できるので、楽しみでしかありません。
今回は僕が現在も続けている、月曜の憂鬱を乗り越えるヒントを5つ紹介します。
1、有酸素運動
2、ネスカフェGB(小さなご褒美を、がんばるではなく楽しむへ)
3、作業環境集中モード(IEM)
4、小さく創る(写真、短文、日記、料理)
5、TODOのミニマル化 -
お金なしで心を満たす哲学
心が「満たされる」という感覚は、収入額よりも欲望の総量と注意の向け先で決まります。古代から現代に共通する思想や哲学はみな、欲を見極めて軽くする、注意を整えて今ここを味わう、自分の価値とつながりを生きる、という3本の柱に特徴があります。今回はその3つを簡潔にまとめながら、生活と創作という文脈で、現代における実践可能性を考察します。1. 欲を軽くする
エピクロス:前300年、サモス島。
欲を3種類に分けた
- 自然かつ必要な欲(水・睡眠・友情・素朴な食事)
- 自然だが不要な欲(豪華さ・過剰な快楽)
- 自然でない欲(地位・名声・他人評価)
1は満たしてよい。2は節度をもってほどほどにする。3は不要な欲望であり、手放すと心は軽くなる。
ストア派:前300年ごろのアテナイ。ゼノン、ポセイドニオス、ローマ期にはセネカ、エピクテトス、マルクスアウレリウスなど。
ストア派は「自分でコントロール可能か?」で線引きをした。名声・他人の反応は自分ではコントロールできない不可領域であり、天気や災害も同じである。一方、知恵・節制・勇気・正義といったことは自らコントロールできるもの。これらに集中することを説いた。
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クリエイターのための生産性向上システム
システムと言うほどではないですが、今回は、動画制作、執筆、Webサイトデザインなどのクリエイティブワークを行う際に生産性向上のために実践していることを書きます。ややエクストリームな部分もありますので、実践する場合は直接真似せずに、ご自身の仕事や生活、そしてクリエイティブワークに置き換えて、取り入れられそうなところを参考にしてみてください。
ルーティンと構造化
何かモノを作っている人ならわかると思うのですが、インスピレーションとモチベーションはいつも気まぐれです。何もアイデアが浮かばずに、机の前に座っていたら日が暮れていたということはありませんか?1日は滅多にないですが、私も1時間ほど何もしないまま、椅子に座っていたことが過去にはありました。
そういう場合に必要なのが、ルーティンと構造化になります。生活にルーティンと構造を与えることによって、インスピレーションとモチベーションは自動的に出てくるようになるのです。ルーティンが大事だと言われる所以は全てここにあります。
まず、カレンダーを用いて日次と週次でざっくりとしたスケジューリングを行います。大事なのは、仕事用のカレンダーとプライベート用のカレンダーを分けずに、仕事と生活を全てひとつのカレンダーで行うことです。こうすることにより、自分が生み出すもの=成果物と、それを生み出す土台になるもの=生活の相互関係が可視化されるようになり、両者がスムースに進むようになります。どうしても仕事とプライベートのカレンダーを会社の都合などで分けられない場合は、カレンダー共有機能を使い、形だけでも全ての予定が一覧できる状態をつくるという方法があります。
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長く使っているもの
先日、「壊れるまで使う」という動画を作りました。明け方走っていて、ふとその言葉が出てきたのです。壊れるまで使うことは、捨てることをできるだけ先延ばしにすること。壊れかけのものを捨てずに取っておくと、どんどんモノが溜まり、処分のタイミングを逃し、ゴミ屋敷と化してしまいます。だから、モノを減らすという観点では、潔く捨てるほうが大事です。半端なものや、使用頻度が低いもの、壊れかけのものはすぐに処分する。それがミニマリズムの原則です。
つまり、モノの分量が圧倒的に多い人が、「壊れるまで使う」ことを意識しすぎると、逆に減らせなくなって危険でもあるということです。
ある程度までモノの分量を減らしている人には、「壊れるまで使う」ことが効いてきます。出費が減る、買い物の時間が減る、モノを選ぶ時間がなくなる、ゴミ出しが不要、環境にもやさしい。長く使う過程で、モノを再評価することにもなり、それが満足感や充足感につながります。「もう既に、持っている」と自覚することは、もうこの先、何も買わなくていいことを教えてくれます。それに気づいた時、不思議と安心感のようなものが押し寄せてくるでしょう。
モノを買うという行為には、多くのプロセスが含まれます。広告が出てきて、瞬時にポチる人はおそらく少数派です。広告や購買を促進する情報はトリガーにすぎず、それを見た後に、あれこれ悩んだり、比較したりし始めるのです。そしてなるべく最安値で手に入れようとか、メルカリで状態が良いものが出ていないか確認したりします。商品が決まった後も、然るべき手続きのもとログインして、注文して、届くのを待つ。一人暮らしの人は、受け取る時間を調整して、運送業者に再配達をかけたりして、受け取れなくて、また再配達をかけたりして。ようやく新たな製品が届いたと思ったら、箱から出して、うわーやっぱりいいなと感動しながら、新しく手に入れたものの使い方や方法を模索しはじめます。そしてそれが手に馴染んで、無意識に扱えるようになるには、モノにもよりますがある程度の時間を要します。同ジャンルの新製品、例えばスマホを買い換える時の面倒さは、ここで説明するまでもないくらい、誰もが身に覚えのあることではないでしょうか。
買わなければ、このようなことを一切無しにできるのです。
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GPT-5で断捨離を加速させる方法
OpenAIのGPT5が発表された。o3や4oなどのモデル選択式だったものが、5とthinkingだけになり、質問と内容によって最適なモデルを自動選択して回答するようになっている。ざっくり言えば、5は全ての窓口となり、thinkingは推論モデル前提での使用に適している。
特に強化されているのがコーディングとヘルスケアの分野で、簡単な指示で爆速でウェブサイトを構築してくれる。ヘルスケアの分野は当初は力を入れていなかったものの、米国での使用用途としての需要が高まり、今年に入って強化された。アップルがヘルスケア分野に力を入れていることとも関連はあると思う。ハルシネーションの軽減によって、今後はますますセルフケア・セルフドクターとしてのGPTの使用が広がるのだろう。僕も過去にサプリの最適解を導き出すのにGPTを用いており、今回も新たに5を使って再考してみた。
サイトのビルディングができて、ブランディングや設計ができると、GPTは単なるアシスタントではなく創作物の生成装置と化す。個人が必要な時に、必要なかたちで、アプリケーションやサイトを作れるようになる。これまではアプリ制作やウェブサイト制作会社があり、そのようなものがビジネスとして成立していた時代だったが、今後はおそらく消えていくだろう。誰でも個人で、自分だけのソフトウェアやウェブサイトが作れる、ソフトウェアオンデマンドの時代になるのだ。
GPTには断捨離にも役に立つ。お片付けサービスに頼らなくても、自分で自発的に捨てられるようになる可能性を秘めている。これは基本的には良いことだが、危険もある。改めて、僕の持ち物リストをGPT5に最適化してもらうとしよう。さて、どうなることやら。
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退職を待たずに自由を生きる方法 – 延期された人生からの脱出
僕たちは、退職後の人生に自由が待っていると信じ込まされてきた。まるで砂浜でカクテルを傾けながら、すべてから解放された老後が用意されているかのように。けれど、それは本当だろうか?
19世紀後半、ドイツのビスマルクが国家退職制度を導入し、65歳を退職年齢と定めた時、当時の平均寿命はまだ60歳を少し超える程度だった。つまりこの制度は、老後の余暇を保証するためではなく、若い労働力のために高齢者を労働市場から排除する、いわば政治的な戦略だった。
現代ではそれが自由というラッピングで売られている。退職後の自由のための年金、投資、退職プラン。すべてが将来の安心の名のもとに、今この瞬間の時間と情熱を差し出すことを正当化している。まるで蓄財さえすれば老後は安心、というような、そのようなイメージで溢れている。
アラン・ワッツはこの幻想を「延期された人生計画」と呼んだ。いつか退職する日が来ると信じて、夢や旅、情熱を注ぐプロジェクト、そして愛する人たちとの今の時間を先送りにして生きる。そんな人々に、彼は警鐘を鳴らした。
僕たちは未来バイアスに囚われている。今の喜びを犠牲にして、遠い未来の報酬を過大評価する傾向である。ダニエル・カーネマンも『Fast and Slow』で、人間が短期の幸福と長期の満足のあいだで、どれほど非合理な選択をするかを解き明かしている。