DOP

  • 発信の基礎 – どこからはじめるか

    「…だからこれからは、アーティストにならなければならない」

    写真を教えて頂いた師匠のひとりが、よく言っていた言葉だ。この話には前後の文脈があるのだけれど、あえて、この部分だけを切り取ってみる。この言葉の意味を本当に理解できたのは、カメラマンになってずっと後のことだった。

    フォトグラファー、カメラマン、写真家。様々な呼び方があるが、つまり写真を撮る人のこと。カメラオペレーターや、最近はDOPを名乗る人も増えた。DOPはDirector Of Photographyで、直訳すると写真監督。広い意味で、ビジュアルの制作指揮をとり、完成物の方向性を担う人。

    DOPを名乗る人が増えたのは、映像がインターネットの標準コンテンツになってからである。その背景には大容量通信が可能になったことや、カメラにビデオ機能が搭載され、マルチロール機が普及したことも関連している。DOPを名乗る人は「アーティストにならなければならない」という意識もあり、その意味を理解している人も多そうだ。つまり、写真を撮るだけ、カメラを操作するだけ、という領域を超えて、クリエイティブを総合的にコントロールする。作品や仕事に関与するフレームを、一段外に広げたい思いがあるのだろう。写真とフレーミング領域だけでなく、光、音声、構成、時には演出、全てを総合的に俯瞰する。だが実際にディレクター経験を持ち、実務レベルで理解し遂行しているかは謎で、むしろカメラマンがただ箔付けのためにDOPを名乗っている場合もかなり多い。

    DOP=アーティストではないが、ここで言う「アーティストでなければならない」には、ただカメラマンという枠内で仕事をし続けるのは難しいし先がないという、ややネガティブな要素が含まれている。そして同時に、撮影という行為または写真そのものは、アートという領域へ到達できるというポジティブな希望も含まれている。

    発信にも同じことが言える。

    そもそも発信活動とはなんだろう?自分の思いを何かしらの形で外に出すことと稚拙に定義するなら、泣き喚く新生児だって発信活動をしていることになる。むしろ、僕らより赤ちゃんのほうが発信活動という点では一枚上手のようだ。

    そこから考えているとあまりに長くなりすぎるので、端的に結論付けたい。つまり、昨今の文脈で言う発信活動は、ただ何かを発信するだけでなく、それにより社会に影響を与えたり、経済活動の一端を担う行為である。単なる発信者ではなく、発信を作る人=クリエイターと枠を広げると、さらにコンテンツクリエイターという言葉へと変態する。そして僕は、コンテンツクリエイターは、アーティストになり得るとも考えている。割と真面目に。

    それは結局アーティストという言葉をどう定義するのかによるのだが、今回の文脈で考えるなら、師匠の言葉は、カメラマンからアーティスト、という表現や活動の枠を広げる意味で用いられた。アーティストという言葉が、あまりに安易にどのような仕事も包括するようなものであることには十分注意しなければならないし、その使い方には気を遣う必要もあると思っている。それを踏まえた上で、発信はアートになり得ると考えたいし、むしろそこを追求していきたい。

    ではどこから始めればよいだろうか?

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