5月3日

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5月3日

さてと。

今日は2024年5月3日、金曜日。東京にいる。朝起きて自分の部屋で目覚めて、カーテンを開ける。カレーの匂いがする。近くで誰かが朝からカレーを作っているのだ。カレーから連想してヨガをしなければと思う。カレーの匂いが無くてもヨガはやるのだけれど、カレーの匂いがさらにヨガの練習へと誘う。その前に洗面所に行って顔を洗い、歯を磨く。床をササッと乾拭きしてからヨガマットを敷く。マンドゥカのプロライト。濃いめのブルーのやつ。昨年の今頃買ったからちょうど一年くらい使っていることになる。調子がいい。よく手足の当たる部分に少しアタリのような感じで変色が起きていて、味が出てきている。それでもグリップは落ちていない。一生使えるような気もしてくる。自分の持ち物の中で最も良く使うものになった。不思議だ。そんなことは考えもしなかった。カメラよりもヨガマットを使っている時間のほうがきっと長い。

マイソールスタイルでフルプライマリーの練習を終えた。先日久々に表参道の先生のスタジオでマイソールをやってから、それぶりのフルプライマリ。ようやく筋肉痛が回復したところ。マリチアサナのCとDで手の取り方を改めて復習しようと思い、練習前にビデオで確認する。立てている足のほうから回した手で、もう一方の手首を掴む。向きは外側、と覚える。何度か心の中でそう言い聞かせる。その流れであとはフィニッシングまで行う。最近はウバヤパダングシュタアサナで留まるのが気持ちいい。ウバヤ!って感じで、吸う息で勢いで。ポーズも気持ちもポップな感じがある。練習中は呼吸に集中しているのでなかなかシリアスな感じだが、アシュタンガヨガ自体は基本的にポップなものだと思う。インド人の根の明るさが密かに込められているような感じ。

何を書こうかなと思ってエディタ向かう。ワードプレスに直接書きつけている。久々だ。今までは文章を書く時はUlyssesというエディタを使っていたのだが、辞めてしまった。写真日記という連載をしていて、主にそのために使用していて、一通りプロジェクトが終わったので、もういいかなと思った。それからはApple純正のNotesで書いてきた。Notesはシンプルでクラウドベースでとても使い心地が良いのだが、長文を書くのには向いていない。メモ程度のものには良い効果を発揮する。だから文章を書く際は、特に提出の必要があるものであれば完成形のファイルに則ったもので最初から書く。つまりワードかPagesである。ワードやPegesには問題もある。それはフルに機能がついていて少し気が重いということ。動作も重い。白紙で本番をいきなり、さあ書けと突きつけられているようで、文章が固くなる。まあ自分程度の物書きであれば固くなったってしょうがないし、むしろ硬いくらいでちょうど良いのかもしれないが。

いずれにせよ、最近はSaaS全盛の時代で、なんでもかんでもサースなわけで、サースあざーっすって感じでブラウザ上で動くエディタの精度も完成度も高まっている。僕も使用しているnoteのエディタなんかはワードプレスに最初は寄せていたものの、最近は独自の便利路線を走り出しているように感じる。ワードプレスも年々進化していて、今こうやって書きながら結構驚いているんだ。

最初はパラグラフの書き出しの時に装飾ツールがカーソルの上に来て邪魔だなと思っていたのだけど、ライティング画面の右上の3つのまるポチからDistraction Freeモードを選ぶと、メニューも何も表示されないクリーンな画面が出来上がった。もちろんフルスクリーンモードにしておくのは前提として、それに加えてDistraction Free。これでUlysessに似たインターフェイスになる。あとは、書いている行が画面の中心に来るようなタイプライターモードが実装されると完璧なんだけど。同じく書くことに集中力を高められる機能としてSpotlightモードがある。今気づいた。これは現在書いているブロック、つまりパラグラフだけがハイライトされて、その他のブロックの文字は薄いグレーで表示されるようになる。良さそうだけど、基本は無しでいく。

うん、いいんじゃないか結構。

環境としてはMacBookということが少し惜しい。ディスプレイを別買いして、高さを上げたい。久々にiMacを買うのもいいかもしれない。村上春樹の書斎を何かで写真で見て、大きな机にiMacをどんと置いていて、格好良いなと思った。僕も1度だけiMacを使っていたことがあって、それは国分寺に住んでいた時代。偶然か、村上春樹も国分寺でジャズバーを経営していて、その跡地を訪れたりしていた。まだフィルム写真真っ盛りの時で、撮影してスキャニングして、エプソンの5Vというプリンタで印刷していた。紙はエプソンを基本としてハーネミューレか月光。種類は忘れた。今より全然しっかりと制作していた感じがある。ノートPC全盛の現在だけど、やはり部屋にデスクトップPCをどんっと構えてゆったりと制作したほうが、文章や写真や音楽も広がりのあるものができるのではないかという気がする。こんな小さな13インチの画面だと、自分のちっぽけな想像力はスケールすることなく、成果物のすべてが虚しく13インチのスケールに収斂していく。そういう感じがある。でもまあ、そもそもちっぽけな想像力だから画面がいくら大きくなったところで、出てくるものはちっぽけなものだということに変わりはないのだろうけれど。

あれだな、文字数カウントが欲しいな。でも天下のワードプレスだから絶対にあるはず。

ほらあった。左上の3本線。それは右上の3まるポチに対置されるものとしての3本線。そこからリストビューの隣のタブのアウトラインを選択する。これで文字数が出てくる。ここまでで2315文字。文字数の下に表示されているワードが12というのが気になる。自分の文章がもはや言葉としてカウントされていない?いくら下手でもそんなはずは。ああわかった。これは英単語しかカウントできないようになっている。これまでディストラクションとかアイマックとかローマ字で書いてきたものがWordsとして認識されてカウントされているんだ。日本語という言語の世界的な非オフィシャル性を認知する。自分が日々使っている言葉は、一歩外へ出れば誰にも伝わらない。このワードプレスのエディタにさえ伝わっていないのだから。

で、なぜ僕はこのようにどうでもいいことを、だらだらと書いているのだろうか。

理由は色々あるけど、発端はアリゾナ州に住むユーチューバーがソーシャルメディアをすべて削除して、ウェブサイトだけにしたという話を聞いたから。彼女が持っているメディアは個人のYouTubeチャンネルと、ウェブサイトと、Pinterestだけ。多分この話が根本的な発端となっている。ソーシャルメディアドリブンな世界に生きる僕らは、自分の作品や表現を行っているように思えて、いち企業、あるいはXで言えば今はイーロンといういち個人(ひどい話だ)に支えられたルールの中で表現を制約されながら、すべての投稿がマスター(主)と広告主のただの餌になっている。単一的な話ではなく、まあそれを軸としてレベニューシェアの仕組みがあり、個人やクリエイターにも収益が還元される仕組みと生態系ができつつあるんだけれど、マスターたちはそのような生態系を包括しながら餌であるいち個人とは比較にならないようなスピードと規模で成長を続けるわけで、メタな話(Facebookのほうではなく)で、地球という星が位置する銀河のそのまた外側の銀河があって、さらに外側という感じに。で、何の話をしたかったんだっけ。

そうそう、なぜ書いているのか。自分でもそれはよくわかっていない。書くのであればnoteがあるのだけど、再びこのウェブサイトのブログに書きつけることになっているのか。思い返してみれば、過去のブログ(tokimarublog)を書いていた時も、noteは並列してあった。noteは現在、単発原稿の販売と、メンバーシップの運営のために用いている。自分の中ではいつもウェブサイトとnoteでのかき分けが問題になるのだけど、noteが写真を中心とした技術や情報の共有なら、ウェブサイトはそれ以外に自然となってしまう。それ以外ということが僕にとっては日記しかないのは、昨年制作した「写真日記」の通り。ブログでの日記、あるいは日記のような文章の塊が写真日記という本に収束して、ひとつのプロジェクトが完成し、ブログでやりたいことはもうやり終えた気持ちになって、ブログ自体も終了させた経緯。

でもまたここに書いているという。輪廻感。

おそらくだけど、先に述べたアリゾナのユーチューバーのウェブサイトを中心にするというアイデアに惹かれたのだ。これまでの僕はどちらかと言えば、ウェブサイトはもう不要だと思うようになっていた。写真作品はインスタグラムでいいし、映像はYouTubeでいいし、文章はnoteでいい。ウェブサイトはオワコン。連絡もDMでいいし、ウェブサイトを持っている意味がない、と。実際にウェブサイトを持たないクリエイターも米国では増えていて、僕の好きなフィルムメイカーがウェブサイトを削除してソーシャルメディアだけの運用に移行した時、自分もウェブサイトを削除してしまおうと考えていた。長年運用してきたドメインを含めて、契約を終了しようとしていた。そんな時、アリゾナチューバーの運用の仕方が入ってきて、ウェブサイトがオワコンになったからこそ、ウェブサイトが輝き出すのではないかとも思えてきた。逆張りであるが、株のトレードと違ってこの逆張りには全くリスクがない。誰にも読まれなくても、稚拙な過去の自分を将来のある時点で本人が孤独に発見するだけだ。何しろ、今でもウェブサイトには表現の自由度の高さがある。インタラクティブネスを加えたければ加えられるし、ランディングや直販やEコマースにレベニューシェアモデル、すべてを一貫して扱うこともできる。表現するメディアも問わない。エンゲージメントという点ではソーシャルメディアに軍配が上がるが、それも運用する本人にかかっている部分でもある。

もうひとつ、日記はもう書かないんですか?と何人かの方に言われたことも関係している。読んでくれていることに対する感謝の気持ちもありながら、僕がここで考えたのは、人によってコンテンツの好みがあるということだった。これは当たり前のことだけど、人によってコンテンツの受容の仕方には好みがある。文章が好きな人、写真が好きな人、映像が好きな人、ラジオが好きな人がいる。あるいは全て嫌いな人もいる。会話が好きな人、人の話しによってしか情報を得ない人もいる。もちろんそのクリエイターによる表現の根本的な好き嫌いというものはあるのだが、それに加えて、コンテンツ内容の好き嫌いもあるということだ。

自分の場合は時期によっても違うが最近は本しか読まない。たまにYouTubeを観てポッドキャストを聞く。コンテンツ内容に分類すれば、活字か、映像か、音声メディアということになる。それも活字は小説ばかりなので二、三日では終わらないような長文ばかりだし、音声のポッドキャストを聞く時も1時間くらいの長いものを、ランニングしながら聞いていたりする。走るよりも、ポッドキャストを聴きたいがためにランニングしているようなところがある。だから、あらゆる表現の場所や形式があることは悪いことではないと思う。

X/Twitterがいくら長文投稿できるようになったからといって、本来的な「つぶやき」の流れるフィードの中で、2000文字を超える文章を読むのにはなかなかの集中力と訓練を要する。しかし文庫本という長文の中では2000文字なんてすぐに読めてしまう。noteなら2000文字というのは単発原稿としては程よい長さだ。プラットフォームあるいはメディアの形式というのは、思うよりも使用者のコンテンツ受容経験に影響を及ぼす。絵画がカンヴァスに描かれているのか、木版に描かれているのかで受け取り方が変わるように。

僕にとっては表現するものは一つであっても、それらを表象するメディアはあらゆる形式を持つことは悪くないと考えている。作品によっては、これは絶対に写真でなければならない、というのはもちろん存在する。しかしここで考えているのは、もっと大きな枠での話し。だからYouTubeを始めたのも、根本的には自分の今の顔や声を記録するものであるし、ポッドキャストも声の記録的側面がある。全てがドキュメンタリーであるということ。

これまで写真しかやってこなかったところに、YouTubeやポッドキャストという表現形式が入ってくると、それはセルフポートレートなのだという意識が強く芽生えてきた。写真というのは、カメラを向ける方向に対して、つまり自分が観ているものに対して保存を行う行為なので、カメラの裏側にいる自分は基本的に写らない。それが、YouTubeでやポッドキャストで喋るという行為は、裏側の自分が表に逆転して露光される状態になる。つまりセルフポートレートなのだ。もちろん写真においてセルフポートレートに取り組む写真家もいるが、それは一つの写真の中の表現形式として在るため、一般的ではない。いや、写真そのものが、自分が写っていなくても実は自分を写していることになるのでセルフポートレートなのだ、という議論はややこしくなるのでここでは一旦置いておく。写真でセルフポートレートを積極的にやってこなかったからこそ、今になって映像や音声でセルフポートレートをしていることを思うとなかなか不思議なところがある。またYouTubeやポッドキャストが、セルフポートレートになりやすいものだということも念頭においておく必要がある。プラットフォームに牽引される形で、表現方法が変容していくというやつ。

何が言いたいのだろう。そうそう、現在配信しているあらゆるソーシャルメディアの内容は、どれも自分の表現活動の一部であると捉えているということ。写真の延長線上にあるような形でYouTubeでの映像がありポッドキャストでの音声がありここでの活字がある。これまでは写真だけだった。写真しかなかった。そういう意味では、ようやく写真という範疇を超えたところに立てた気がしている。

ネスカフェ・ゴールドブレンドが底をついた。書く前に淹れて、この文章を書き始めたのだった。ブログは紙面の制約が無いため、書けるだけかけてしまう。だからネスカフェ・ゴールドブレンドが底をつくということが、そろそろ書く手を止める合図になる。これは動画で喋る時も使える。有限性の発動、砂時計のようなタイマーとしてのネスカフェ・ゴールドブレンド。

そういえばタイトルも決めていないし、写真も決めていない。これからFZ45から写真を取り込んで、この記事に合いそうな写真を一枚載せようと思う。

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