Tokimaru
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時間の安売りをやめる
人は、自分の時間を安く見積もるほど、その時間を、安い用事や仕事で埋めていく。断れない依頼。惰性のやりとり。誰かの都合。気づけば一日は、自分の人生とほとんど関係のないことで埋まっている。夜になって、今日も何かを生きた気がしない、と思う。
僕たちは、時間が有限であることは知っている。けれど、その有限の時間に、いくらの値札がついているかは、ほとんど考えない。値札を決めないまま差し出すから、買い叩かれる。
時給を上げることを、僕はずっとお金の話だと思っていた。だが違った。これは、自分の時間をどこに置くか、という話だ。もっと言えば、自分の人生を、何に使うかという話である。
値段というのは、外的に決まるものだと僕たちは思い込んでいる。市場が、相場が、相手が決める。だから、提示された額に、なんとなく従う。でも本当は、最初の値札をつけるのは、いつも自分自身だ。自分が、自分の時間をいくらのものとして扱うか。その内側の評価が、にじみ出て、まわりの扱いになっていく。だから当然、自分で安く扱えば、安く扱われる。高く構えれば、その重さに、相手はだんだん応えはじめる。もはやお金の話ではなく、生き方の問題なのかもしれない。
今年に入って、個人向けのコンサルを停止した。法人向けには、現在、基本料を1時間で30万円としている。これは「僕の時給は30万円です」という自慢ではない。
個人コンサルを始めた頃、最初の時給は12000円だった。そこから25000円、50000円と、段階的に上げていった。応募者が多かったので、それに応える時間がなく、仕方なく値上げしたところがある。ここでは需要と供給の市場原理による調整が働いている。
値上げのたびに、顧客が減るのを覚悟した。でも実際に減ったのは、件数ではなく、「とりあえず聞いてみよう」という、軽い相談のほうだった。価格が上がるほど、相手は本気で言葉を選んでくる。だから、こちらも本気で返せる。対話の密度そのものが、変わっていった。
そうやって上げていって、ある時点で、気づいた。これは、単純に、単価を上げれば解決する問題ではないことに。
問題は、時間そのものの、売り方だった。
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ワードローブ考察2026
ひとつの穴から、話は始まる。
山と道の 5-Pocket Pants。スマートフォンを入れるポケットの底が、破れ始めている。三、四本と履き継いできた自分にとっての定番で、まるで皮膚のようになっている。軽くて、乾いて、歩けて、走れて、旅にも行ける。生活を最適化するために選んだ、文句のない一本だった。けれど、その小さな破れを縫うべきか買い替えるべきか考えているうちに、ずっと大きな問いが立ち上がってきた。
自分は、何者として街に立っているのだろう。
クローゼットを開けるといつも黒一色。何がなんでも黒すぎる。山と道、HERENESS、Arc’teryx、Altra、Luna Sandals。すべてが機能・身体性・ミニマリズムの服で、素材は化繊、シルエットはスポーティー、足元はトレランかサンダル。最近は山より、街にいる時間が多くなっている。黒いキャップをかぶると、いよいよ不審者じみてくる。
問題は黒ではなかった。黒・化繊・スポーティー・スニーカー・キャップ、その全部が同じ方向に振り切れていたことだった。だから今回考えたのは、高機能でギア的な服を、山・雨・ランニングという本来の役割へ戻すこと。そのうえで、街で過ごす制服を、思想を持って組み直す。このJournalはその途中経過な記録だ。
これまでの服が「機能・身体性・ミニマリズム」なら、今回入ってきたのは「街・現場・生活・余白・育成」。具体的なブランド名を出すなら、Engineered Garments、COMOLI、Maison Margiela、FilMelange、ENDS and MEANS。進化というよりは、積極的退化。ちょっと前の(2020年以前)自分に戻ったようなラインナップだ。
一着ずつ、なぜそれを選んだのかを書いていく。
maison de soil homme ─ 最初に開いた生活着の扉
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『Die With Zero』をミニマリズムと仏教で読み直す
今週はビル・パーキンスの『Die With Zero』(2020)を再読した。
売れた本なので、読んだことがある人も多いと思う。これがちょうどコロナ禍の時に発売されているのも興味深い。あのパンデミックの非常時には、誰もが残された人生をいかに生きるか、ということを意識せずにはいられなかった。移動が制限され、金が使えなくなると、資産を持っている老人たちは、確かに、ああこのまま移動できないまま逝ってしまうのだろうか。せっかく長い間、働いて働いて資産を築いてきたのに、それを使えないまま、この世を去ることになるのか。だったら、がんばって働かなければよかった。そう思った人もいるかもしれない。
この本を読んで、「これは富裕層のたわごとだ」と一蹴するのは簡単だ。実際に僕もそう思う。
著者のビル・パーキンスは米国のバージン諸島を拠点に事業を展開するCEOであり、ヘッジファンドマネージャーやポーカープレイヤーなどを兼任し、資産は1億2000万ドル(約200億円)を超えている。
「思い出作り」のために、カリブ海にある島のホテルを貸切り、親族や友人を招いた自身の誕生日パーティーを盛大に1週間にわたり開催したくだりは、単純に良いなぁと思うが、楽しさよりも、儚さを感じる。ウェルベックの小説を読んでいるような気持ちになった。
しかし、本の中で書かれていることは、的を射ている。まとめるとこんな感じだ。
- 残るのは思い出だけ。思い出作りと経験に投資しよう。
- 45歳から60歳くらいには資産を切り崩しはじめよう。
- 死んでから遺産を子供に相続させるのではなく、生きてる間に、適切な時期にお金を与えよう。
- 若いうちにリスクをとろう。
- 今使うお金と、残すお金のバランスをとろう。
僕もこれらのアドバイスには、同意するところが多い。タイトルや表面だけを読むと、死ぬまでに全ての金を使いきれ、と言っているように見えるが、実際は、現在と未来で使うお金のバランスをとろうね、というものだ。
問題は、多くの人が、将来のために「貯める」ことに比重を置きすぎていて、現在をまるで稼ぐための奴隷のように過ごしているのではないかということ。確かに、稼ぐためには、働かなければならない。1日8時間を会社で働いて、週に2日しか休めない生活の中で、現在を犠牲にして老後のために貯め込む。その老後が、本当に来るかどうかもわからないのに。
ここで、ひとつ根本的な問いを立ててみたい。
『Die With Zero』は、いったい誰のための本なのか。
