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Claudeに渡すもの、その使い方
先日、Xにこのように書いた。
情報開示の量と範囲が、従来から大きく変わっていく気がする。AIに情報を緻密に与えれば与えるほどに、使える道具と化していく。自分のことを誰かに知られているということは、人類史上ずっとリスクの側にあった。弱みを握られる、裏切られる、支配される。だから人は隠すことを覚えた。ところが相手がAIになった途端、これが反転する。健康の記録、お金の流れ、仕事の癖、まだ言葉になっていない迷いまで、渡した分だけ精度が上がる。人間に知られるとリスク、AIに知られると資産。この非対称性は人類史上はじめて現れたものだと思う。だからこれからは、何を開いて何を残すかの線引きが、家計や健康管理と同じくらい個人の基礎設計になっていく。正直、自分もまだ線を引ききれていないけれど。
書いたあとも、このことを考え続けている。
僕たちは隠すことで生き延びてきた。村の中で、会社の中で、家族の中でさえ、すべてを開くことは危険だった。秘密を持つことは、弱さを守る鎧であり、交渉のカードになり、ときに尊厳そのものだった。
情報を持つことは、権力になる。会社の上層部の人間だけが多くのことを知っていて、社員には何も知らされずに、突然大きな変更や仕事が降ってくることは、会社員をやったことがある人ならわかるだろう。
プライバシーという概念は、これまでの長い警戒心の積み重ねの上に立っている。
ところがAIに対しては、その警戒が機能として裏目に出る。隠せば隠すほど、返ってくる答えは一般論になり、誰にでも当てはまる、つまり誰にも刺さらない助言になる。逆に、自分の生活の構造、仕事の癖、資産の配分、迷いの中身まで渡してしまうと、返答は急に自分専用のものに変わる。渡した分だけ、道具が自分の形に削れていく。
執筆について考える。
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時間の安売りをやめる
人は、自分の時間を安く見積もるほど、その時間を、安い用事や仕事で埋めていく。断れない依頼。惰性のやりとり。誰かの都合。気づけば一日は、自分の人生とほとんど関係のないことで埋まっている。夜になって、今日も何かを生きた気がしない、と思う。
僕たちは、時間が有限であることは知っている。けれど、その有限の時間に、いくらの値札がついているかは、ほとんど考えない。値札を決めないまま差し出すから、買い叩かれる。
時給を上げることを、僕はずっとお金の話だと思っていた。だが違った。これは、自分の時間をどこに置くか、という話だ。もっと言えば、自分の人生を、何に使うかという話である。
値段というのは、外的に決まるものだと僕たちは思い込んでいる。市場が、相場が、相手が決める。だから、提示された額に、なんとなく従う。でも本当は、最初の値札をつけるのは、いつも自分自身だ。自分が、自分の時間をいくらのものとして扱うか。その内側の評価が、にじみ出て、まわりの扱いになっていく。だから当然、自分で安く扱えば、安く扱われる。高く構えれば、その重さに、相手はだんだん応えはじめる。もはやお金の話ではなく、生き方の問題なのかもしれない。
今年に入って、個人向けのコンサルを停止した。法人向けには、現在、基本料を1時間で30万円としている。これは「僕の時給は30万円です」という自慢ではない。
個人コンサルを始めた頃、最初の時給は12000円だった。そこから25000円、50000円と、段階的に上げていった。応募者が多かったので、それに応える時間がなく、仕方なく値上げしたところがある。ここでは需要と供給の市場原理による調整が働いている。
値上げのたびに、顧客が減るのを覚悟した。でも実際に減ったのは、件数ではなく、「とりあえず聞いてみよう」という、軽い相談のほうだった。価格が上がるほど、相手は本気で言葉を選んでくる。だから、こちらも本気で返せる。対話の密度そのものが、変わっていった。
そうやって上げていって、ある時点で、気づいた。これは、単純に、単価を上げれば解決する問題ではないことに。
問題は、時間そのものの、売り方だった。
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ワードローブ考察2026
ひとつの穴から、話は始まる。
山と道の 5-Pocket Pants。スマートフォンを入れるポケットの底が、破れ始めている。三、四本と履き継いできた自分にとっての定番で、まるで皮膚のようになっている。軽くて、乾いて、歩けて、走れて、旅にも行ける。生活を最適化するために選んだ、文句のない一本だった。けれど、その小さな破れを縫うべきか買い替えるべきか考えているうちに、ずっと大きな問いが立ち上がってきた。
自分は、何者として街に立っているのだろう。
クローゼットを開けるといつも黒一色。何がなんでも黒すぎる。山と道、HERENESS、Arc’teryx、Altra、Luna Sandals。すべてが機能・身体性・ミニマリズムの服で、素材は化繊、シルエットはスポーティー、足元はトレランかサンダル。最近は山より、街にいる時間が多くなっている。黒いキャップをかぶると、いよいよ不審者じみてくる。
問題は黒ではなかった。黒・化繊・スポーティー・スニーカー・キャップ、その全部が同じ方向に振り切れていたことだった。だから今回考えたのは、高機能でギア的な服を、山・雨・ランニングという本来の役割へ戻すこと。そのうえで、街で過ごす制服を、思想を持って組み直す。このJournalはその途中経過な記録だ。
これまでの服が「機能・身体性・ミニマリズム」なら、今回入ってきたのは「街・現場・生活・余白・育成」。具体的なブランド名を出すなら、Engineered Garments、COMOLI、Maison Margiela、FilMelange、ENDS and MEANS。進化というよりは、積極的退化。ちょっと前の(2020年以前)自分に戻ったようなラインナップだ。
一着ずつ、なぜそれを選んだのかを書いていく。
maison de soil homme ─ 最初に開いた生活着の扉